映画「杉原千畝」を見ました!


杉原千畝(すぎはらちうね)は語学に堪能で満州国の白ロシア系住民の中に情報網を構築し、リトアニアの日本領事館代理になってからはポーランドの情報機関やユダヤ人の中に情報網を作り、貴重な欧州情報を本国に送り続けた。

当時のヨーロッパ情勢は世界大戦勃発の直前でポーランドを独ソが分割、リトアニアに大量のユダヤ人難民が流れ込んでいた。そのリトアニアもソ連に併合される直前で、各国は大使館・領事館を閉鎖していった。日本領事館も閉鎖を通告されていたが、その日本領事館に難民たちがビザを求めて押し寄せる。

千畝は本国にビザ発給を認められなかったことで悩む、そして本国の意に反してビザを発給する。領事館で、ホテルで、鉄道の駅で彼はビザを発行し続ける。こうしてシベリア鉄道でウラジオストックから敦賀へと6000人のユダヤ人たちが生き延びることができた。私が読んだ本では彼はリトアニアからプラハに移動させられ、ここでもユダヤ人のためにビザを発行する。

杉原千畝は「世界を変えたい」と言う夢を持ち続けていたという。外交官の中でも情報収集や諜報活動に従事する人を「インテリジェンス・オフィサー」と呼ぶ、英語・ロシア語・フランス語を話し、亡命ポーランド組織やユダヤ人や白ロシア亡命組織とつながる千畝を外務省は召還できなかった。

戦後彼は外務省を解任されたが、その名誉回復は1991年10月3日であった。この名誉回復は鈴木宗雄外務事務次官(現新党大地党首)が尽力し外務省に認めさせることになる。鈴木宗雄は大した政治家なのだということを指摘しなければならない。

アレキサンダー大王は「世界を一つにする」夢を持って生きた。中国の武将楽毅は「見事に生きることを」追い求め実行した。織田信長は戦乱の世を収束させることを自己の使命として生きた。杉原千畝は人を殺すことが英雄だった戦乱の時代に、人を助けることを信条として生きた。のちにイスラエル政府は杉原千畝に「諸国民の中の正義の人賞」を送り応えた。杉原千畝は今では日本のシンドラーと呼ばれ感謝と敬意をささげられている。この時の6000人の命はその子孫を数えると今日では20万人になる。

人はどんな時でも自分の夢を、信念を、使命を、忘れてはいけない、そう痛感した映画であった。
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Author:m.kadono
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